前回は、自衛隊の任務について自衛隊法の変遷を踏まえながら話をした。そのなかで、平成27年に自衛隊法が改正され、第3条1項から「直接侵略及び間接侵略に対し」という文言が削除されたという話もした。
自衛隊法が制定されたのは、昭和29年である。それから、61年が過ぎた平成27年に自衛隊法第3条1項から、「直接侵略及び間接侵略に対し」という文言が削除されたのである。そして、なぜ、その文言が削除されたのかは、前回のブログで説明した。
私は、前回、説明したように法解釈しているが、国際的な関係から、我が国の防衛が、他国対自国という考え方だけでは成り立たない状況にある、と考えている。
日本は、自衛隊という自国を守る組織があるが、それは、憲法上軍隊ではなく、したがって、自国を防衛する限度の組織に止められて、保有する装備や自衛隊の行動は、他国の軍隊に比べると大きく制限されている。しかし、これは、我が日本国民だからこそ、忠実に法に従い、それが実現できているのである。
明治維新後の日本は、古くから伝わる天皇制により近代化が図られたが、これは、天皇による独裁的な命令ではなく、日本国民が自ら行ったものであり、現在ほどではないが、民主主義によって近代化が図られたのである。
昭和初期には、太平洋戦争にまでに発展したが、これも昭和天皇による命令ではなく、民主主義による日本国民が選択したものである。とは言っても、その当時は、女性には選挙権がなく、完全な民主主義とはいえないものであった。しかし、天皇は、独裁者としての命令はしていない。むしろ、昭和天皇は、太平洋戦争に発展しないことを期待して、東条英機が総理大臣になることを承認したのである。東条英機は天皇の期待にそうよう努力したが、軍人や政府の大臣は、自国(天皇)のためとして自ら太平洋戦争を選ぶべきとの多数決により、戦争へと発展したのである。したがって、戦後の東京裁判とも言われる極東軍事裁判において、昭和天皇が戦争犯罪人として裁かれることはなかったのである。
日本人は、自ら定めたルールに従うのみならず、その慣習にも従うといった気質がある。これは、武士道といった日本独自な考え方が伝わっているのかもしれない。そこが外国人とは違うところなのであろう。
しかし、外国人は日本人の気質まで考えたりはせず、たとえ考えても理解できず、結果的に日本に住み日本人との関わりがなければ、本当の意味での日本人の気質は理解できないであろう。
したがって、ある外国は、日本が米国と同盟を結んでいるのであれば、日本も米国と同じと考え、米国を攻撃する際には、日本が憲法で外国を攻撃することは禁止されているから日本は大丈夫とは考えず、日本も米国と共同して反撃してくることを想定しての攻撃となることもありうるのである。
平成28年の防衛白書によれば、北の「人工衛星」と称する弾道ミサイル発射について記述がある。これは米国に対する軍備を増強しているものと思われるが、防衛白書では、誤解を避けるためその点は明確に記述されていない。だが、米国を標的とした場合、まず、身近の在韓及び在日米軍基地を同時に攻撃することが、優先されるのではないだろうか。したがって、「直接侵略及び間接侵略」にこだわっていては、現実には自国を防衛できないということになる。自衛隊法が制定されてから61年、時代の変化によって、国際情勢が変化し、自衛隊の任務がさらに増加したことになる。